親鸞会でお聞きしたお話の感想を綴っているところです。
今回、特に心に残ったのは「難度海」という言葉。「難度海」とは僕たちの「人生」のことだと教わりました。
難度とは、渡ることが難しいということで、苦しみということ。
何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか分からないから、苦しいはずです。
しかも苦しみの波が次から次とやってくる人生を、親鸞聖人は「難度海」といわれている。。。と理解しました。
その時の親鸞会のお話では、こんな内容もありました。
「はたから見ていると分からないが、「人からこんなことを言われた、あんなことを言われた」といって苦しんでいる。人の言った言葉で苦しんでいる。
他人が聞けば、「そんな小さなことで苦しんでいるのか」と思うようなことでも、その人にとっては深刻で、暗い生活になっている。
人がああいった、こういった、プライドを傷つけられた・・・毎日、いろんな人からそういうことを聞かされて苦しんでいる。
そんなことが絶える日があるだろうか。。。」
うーん、いわれてみれば、こんなことが、絶える日はなさそうだ。
苦しいから何かにすがろうとする。難度海に浮いている板切れや丸太にしがみつく。なるほど。
例えば、東京スカイツリー。
高いところにのぼって景色をみたから、何がどうというわけではないのだけれど、のぼってみたいと思わずにいられない。
でも、展望台に3日間いたらどうか。そりゃ飽きるよね。1か月いたら。助けてくれとなるかもしれない。
僕らの知っている楽しみって、こんな程度のかわいいものなんだ。だから丸太や板切れか。なるほど。
それで、親鸞聖人は、丸太や板切れとは比較にならない、難度海を明るく楽しく渡す大きな船がある、と教えられた方なんだということが、分かりました。
その船について、親鸞会で、これからもっと詳しく聞いていかないとね。
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