これは直接、親鸞会で聞いたお話ではありませんが、聞いた話をもとに思ったことを書いてみます。
門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
と一休は歌ったそうですが、年があけたということは1年生き延びたともいえるし、1年また死に近づいたということだから、あけましておめでとうともいえるし、おめでたいとはいえないというのも、本当だと思います。
昨年3月には東日本大震災がありました。
今年こそはいい年にという気持ちもみんなあると思うけど、1月17日には阪神大震災の追悼で、
年明けからどこか「祈り」ムードなのではないでしょうか。
死者への祈りであると同時に、自分自身もやがて死ぬ存在であり、今年がそうかもしれないと思えば、改めて、一休の歌が、身につまされます。
じゃあ、本当に、「めでたく」するにはどうすればいいのだろうか。。。
親鸞会の人からもらった葉書に、
「元旦や おめでたいとは金剛の信を獲たる人にこそあれ」
という言葉がありました。
金剛信(絶対の幸福)を獲得すれば、一日一日が無量光明土(限りなく明るい世界)へ近づく日々になる。この身になることこそ、人生の目的と、書いてありました。
命のはかなさを見つめて、今年も親鸞会で、仏法を聞いていきたいと思います。
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