親鸞会「シャボン玉の人生」

今回も親鸞会で聞いたお話をもとに、感想を綴ってみます。

「私たちの人生はシャボン玉のようなもの」という例えを、聞かせてもらいました。それはつまり、「はかない」ということですよね。ぷーっと膨らませたシャボン玉は、しばらく浮遊して、ぱっとはじける。長くもってもせいぜい、屋根の上まで。空高く浮き続けているシャボン玉もなければ、昨日から浮いているというシャボン玉もない。

人生80年、日本では100歳以上のお年寄りも4万人を超えたそうですが、寿命が延びたといっても、過ぎ去った人生をみれば、あっという間にしか、感じられないのではないでしょうか。ウォーキングしたり、コレステロール値に気をつけたり、健康に気遣っている姿は、あたかもシャボン玉の膜がはじけないようにいたわり、努めているようで、なんだか切なくなります。

しかし、親鸞会でお聞きしたシャボン玉の話には、続きがあります。それは、私たちの生命は永遠であるということ。果てしない過去=無始昿劫(むしこうごう)=から、私の生命には歴史があり、果てしない未来へと流れていると仏教では教えられているそうです。そんな悠久の時間の中で、人間に生まれた50年100年の人生は、まさに、シャボン玉のように、はかないものですね。

そして私たちは、この世だけでなく、果てしない過去からずーっと罪悪を重ねてきた凡夫なのだと言われている善導大師という方の言葉を、聞かせてもらいました。

「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、

昿劫より已来、常に没し、常に流転して、

出離の縁有ること無し」と深信す

このような果てしない過去から罪悪を重ねてきた正真正銘の凡夫が私なのですね。この世だけで私をとらえていましたが、親鸞会でお話を聞かせていただいて、私には果てしない魂の遍歴があることを感じました。

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