親鸞会「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり(3)」

親鸞会の勉強会で聞いた「白骨の章」について、感想を綴っています。
今回は「凡そはかなきものは、この世の始中終、幻のごとくなる一期なり」(幻のように過ぎ去る人間の一生ほど、はかないものはない)について。
この世の始中終とは、いわゆる幼年期、青壮年期、老年期のことで、女性の「始中終」を、室町時代の一休さんは、「世の中の 娘が嫁と花咲いて かかあとしぼんで 婆と散りゆく」と詠んだとか。さすが問題発言が許されるキャラを獲得した一休さんですが、男性も呼び名が変わるだけで同じコースをたどるのではないでしょうか。そして、その間は幻のごとく、あっという間に過ぎていく。確かにそのとおりかも。いや、まったくそのとおり。
親鸞会の勉強会の中では、こんな例えも聞きました。「時の経過する速さの感覚を例えると、10代は鈍行列車、20代は快速列車、30代は準急、40代は急行、50代は特急、60代は新幹線、その後はブレーキのきかなくなった弾丸列車のようなもの」と。
確かに、年をとると1年のたつスピードが速く感じるのは実感として分かります。そういえばこの間、東京オリンピックは7年後か・・・と思った記憶がありましたが、いつの間にか、あと4年になっていました。そうやって○年後はオリンピック、ワールドカップ、次は、と毎日毎年、楽しそうなイベントを追いかけているうちに人生の夕暮れを迎えるんだと思うと、そこはかとなく、いやーな感じですね。
もし、生きている間に果たすべき大事なことがあるとしたら、それを知って、それに向かって生きなきゃダメな(もったいない)気がします。・・・と、やたらまじめな発言をしてしまっているのだが、「白骨の章」には、それだけの(人生観を変える)力があるわけで。関心のある方は、親鸞会の勉強会にぜひ足を運んでみてください。

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