親鸞会「なぜ人生を、山でも川でも砂漠でもなく海に例えられたのか?」

タイトル長くてすみません。少ーし前に親鸞会で聞いたお話です。
「なぜ人生は海に例えられるのですか?」。これは、ある日の座談会で出た質問。
このブログでも何度か取り上げたことがありますが、親鸞聖人は人生を海に例えて「難度海(なんどかい)」とか「生死の苦海(しょうじのくかい)」と言われているんですよね。それで「なんで山でも川でも砂漠でもなく、海なのか?」と。どこのどなたかわかりませんが、よき質問をしてくれました。山や川や砂漠ではマッチせず、海ならぴったりな人生の特徴とは何なのか。今日は単刀直入に結論にいきたいと思います。
それは「波が絶えないところ」だと教えてもらいました。「海に波が絶えないように、人生には苦しみの波が絶えない」。苦しみの絶えない人生を、荒波の絶えない海に例えて、「難度海」とか「生死の苦海」と親鸞聖人は教えられているわけですね。
これで一応、なぜ人生を海に例えられたのか、という問いの答えは分かりました。皆さんにも、あっさり分かってもらえたのではないかと思います。
ボクが取り上げたいのは、その次です。じゃあ、波とは何か?もちろん、仏教で「四苦八苦」と教えられる、いろいろな人生の苦しみであることには間違いない。それも詳しく聞かせてもらいました。が、この絶えない波の本質は一体何なのか?それについて、親鸞会のお話の中で、それは欲や怒り、ねたみそねみ、執着する心、ひと言でいうと「煩悩」であると聞かせてもらいました。ははー、難度海の波って、煩悩だったんですね。。。それは確かに、死ぬまで絶えないと言われて、はげしく納得です。なんかいろんな理解が脳内でつながりました!このお話の続きは、また次回に。

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