親鸞会「神や仏を信じるだけが信心じゃない!(その5)」

親鸞会で聞いたお話の感想、まとめです。
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝もわが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路の末・三塗の大河をばただ一人こそ行きなんずれ」
(いよいよ死ぬときには、それまで信じ、頼りにしてきた妻も子供も、お金や財産も何一つ持ってはいけない。すべてに見捨てられ、たった一人で次の世に旅出っていかなければならない)
そうなんだよなー。そうなんだけど…。わかっているんだけど…。妻子や財宝に代表される、相対的な幸福を、求めずにいられないのが人間ですよね?ということを、もやもやと考えていたら、先日、親鸞会のお話で、そのように執着する心も「煩悩」であり、煩悩具足の私たちは、妻子や財宝などの丸太や板切れにすがらずには生きられないものであることを教えてもらい、腑に落ちました。
そして、そんな煩悩具足で果てしなく苦しみ続けるしかない私たちを、変わらない本当の幸せ「絶対の幸福」にしてみせると約束されているのが、阿弥陀仏の本願といわれるもので。この阿弥陀仏の本願を聞いて、はじめてあらわれるのが「自力の信心」といわれる3つめの信心。そして阿弥陀仏の本願力によって「絶対の幸福」になったのが4つめの「他力の信心」と教えてもらいました。この説明は、僕にはまだ難しいので、これくらいにしておきたいと思いますが、引き続き、親鸞会のお話を聞いて勉強したいと思います。

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