親鸞会「神や仏を信じるだけが信心じゃない!(その3)」

「信心」という言葉を切り口に、ボクの頭を整理しています。ひとくちに「信心」といっても4通りあると親鸞会のお話で教えてもらいました。
1つ目は、神や仏を信じてご利益を願う信心。2つ目は、心で何かを信じる信心。例えば、金さえあれば幸せと信じている「金信心」、健康こそ幸せと信じている「健康信心」、子供が宝と信じている「子供信心」など。
2つの信心に共通するのは、そこで求めている、得られる幸せは「相対的な幸福」であることだと思います。
2つが違う点は、1つ目の信心は持たない人もあるけれど、2つ目の信心を持たない人は一人もないというところ。なぜなら、何かを信じなければ、人は生きていけないから。
ところが残念なことに、これらの信心は、いずれも、今日あって明日なき無常のものを信じているために、常に壊れはしないかという不安がつきまとって離れないという特徴があります。そのことを、お釈迦さまは「諸行無常」と説かれ、親鸞聖人は「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごと、たわごと、まことあることなし」と「歎異抄」に断言されています。
ボクは親鸞会でお話を聞いてはじめて、この「歎異抄」の言葉を知りましたが、この言葉が人生観に与えた衝撃度ははかりしれません。しかも、これをくつがえして、そんなことない、こんな幸せだってあるだろ、と説得してくれる別の解答にいまだ遭遇せず。これが「本当のこと」だということは、内心みんな分かっているんじゃないかな。この「本当のこと」を、蓮如上人もズバリ説かれているんだけど、それは次回に書きたいと思う。続けてもっと親鸞会で学んでいきませう。

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