親鸞会「神や仏を信じるだけが信心じゃない」

親鸞会で聞いたお話の感想などを綴っています。
今回から「信心」というキーワードをもとに、僕の理解をまとめてみたいと思います。
詳しい人によると、親鸞聖人の教えを学ぶときに「信心」は、キーワード中のキーワードらしいです。しかも世間一般の単純な意味とは全く違うので、うかつには触れられないような気配も感じます。そもそも「親鸞聖人といえば念仏でないの?」と、ふつうみんな思うと思うのですが、どうも違うようなのです。
どうしてそれが分かるかというと、浄土真宗で超有名な「聖人一流の章」というものがあって、これは親鸞聖人から数えて8代目の蓮如上人という方が書かれたものですが、浄土真宗では中興上人といわれる有名なお方です。その蓮如上人の書かれた手紙を「御文章」とか「おふみ」と言われるんですが、その中で最も有名な一つが「聖人一流の章」です。前置きが長くなりましたが、その「聖人一流の章」の冒頭に、このように記されています。
「聖人一流のご勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」
(親鸞聖人が生涯教えられたのは、信心一つで救われるということである)
親鸞聖人の教えは「信心をもって本とする」と断定されているんですね。そこで、親鸞聖人の教えられた「信心」とはどんなことか、ということが壮大なテーマになるんですが、親鸞会のお話の中で、信心といっても4通りあることを教えてもらいました。
まず世間一般に思い浮かべる、神や仏を信じてご利益を願う信心。ふつう、信心といったらこれですよね。「もっと信心しなさい」とか「信心が足らない」というのは、神や仏に対する信心のこととして使っています。ところが、神や仏を信じるだけが信心ではないと聞かせてもらいました。その話は次回に。
続けて親鸞会で仏教の奥深いところを学んでいきたいと思います。

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