親鸞会「因果の道理(ボクの頭の整理)」

前回は、運命の仕組み「因果の道理」について、これまで親鸞会の座談会などで聞いてきたことを、断片的にまとめてみた。ここからは、ボクの頭の整理です。テーマは、因果の道理を知ると、どんな生き方に変わるのか、ということについて。
まず、運命を生み出すのは私の行為であり、得体のしれない神や先祖の霊のしわざではないと知れば、ほっとするし、運命について重苦しい不安感は、なくなると思う。
そして善いのも悪いのも、自分に現れる運命のすべては自分の行為が生み出すとなれば、誰でもやっぱり善い運命がほしいから、善いことをしようという気持ちになるし、悪い運命はいやだから、悪いことはしないようにしようという気持ちになる。これを「廃悪修善」って、たしか親鸞会のお話の中で聞いたように思う。
また、あらゆる結果は因と縁が結びついて現れ、因と縁は同等に重要だから、悪い縁を避け、善い縁に近づく生き方になると思う。縁を選んでいくことも、すごく大事だよね。
そして、悪い結果が現れた時。普通なら、他人を恨みのろい、その心でまた苦しむところだけれども、因果の道理を見つめたら、自分のまいた種と反省する気持ちになり、心が落ち着くように思う。ゆるしとか、受容というのだろうか。一見するとアキラメ主義のように思えるが、アキラメ主義と違うのは、起きてしまった結果は自分の過去にまいた種と受け止め、未来の運命は、これからの種まきで変えていこうという意志があるところではないだろうか。そういう意味ではアキラメていないわけで。あきらかにみて、あきらめていない。行動の原動力が恨みや復讐とは違う、ポジティブな生き方になるのではないだろうか。
じゃあ、善い結果に恵まれた時はどうなるのか?これが一筋縄ではいかなくて、以前に親鸞会で聞いたお話をもとに次回、整理してみたいと思う。
前回は、運命の仕組み「因果の道理」について、これまで親鸞会の座談会などで聞いてきたことを、断片的にまとめてみた。ここからは、ボクの頭の整理です。テーマは、因果の道理を知ると、どんな生き方に変わるのか、ということについて。
まず、運命を生み出すのは私の行為であり、得体のしれない神や先祖の霊のしわざではないと知れば、ほっとするし、運命について重苦しい不安感は、なくなると思う。
そして善いのも悪いのも、自分に現れる運命のすべては自分の行為が生み出すとなれば、誰でもやっぱり善い運命がほしいから、善いことをしようという気持ちになるし、悪い運命はいやだから、悪いことはしないようにしようという気持ちになる。これを「廃悪修善」って、たしか親鸞会のお話の中で聞いたように思う。
また、あらゆる結果は因と縁が結びついて現れ、因と縁は同等に重要だから、悪い縁を避け、善い縁に近づく生き方になると思う。縁を選んでいくことも、すごく大事だよね。
そして、悪い結果が現れた時。普通なら、他人を恨みのろい、その心でまた苦しむところだけれども、因果の道理を見つめたら、自分のまいた種と反省する気持ちになり、心が落ち着くように思う。ゆるしとか、受容というのだろうか。一見するとアキラメ主義のように思えるが、アキラメ主義と違うのは、起きてしまった結果は自分の過去にまいた種と受け止め、未来の運命は、これからの種まきで変えていこうという意志があるところではないだろうか。そういう意味ではアキラメていないわけで。あきらかにみて、あきらめていない。行動の原動力が恨みや復讐とは違う、ポジティブな生き方になるのではないだろうか。
じゃあ、善い結果に恵まれた時はどうなるのか?これが一筋縄ではいかなくて、以前に親鸞会で聞いたお話をもとに次回、整理してみたいと思う。

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