親鸞会「縄をうらむ泥棒」

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。
私たちの運命は、すべて過去の自分の行為が生み出した「自業自得」(自分の行為=自業が自分の運命をつくる=自得)・「自因自果」であり、「他因自果」(他のまいた種の結果が自分に現れる)は絶対にない、と教えられるのが仏教の因果の道理であることを学んできました。
さらに因果の道理は正確には「因縁果の道理」。すべての結果は因と縁が結びついて生じる。因だけでも結果は生じないし、縁だけでも結果は生じない。因とは自分自身の行為(業力)であり、縁とは因が結果を生み出すのを助けるものであるということも親鸞会のお話で習いました。
「縄をうらむ泥棒」ということわざがあるそうです。泥棒が、他人のものを盗んで警察に捕まり、縄にしばられて苦しんでいる。なぜ泥棒は今そんな苦しい目に遭っているのか。それは他人のものを盗むという行為を泥棒自身がしたからにほかならない。自分の行為の結果が現れて苦しんでいるわけですね。ところが自分を苦しめているのは、この縄のせいだと、縄をうらんでいる泥棒がいたとしたら、こんな愚かな泥棒はいません。「縄をうらむ泥棒」とは、そのように自分の種まきをたなにあげて、おかどちがいのものをうらんでいる愚かさをわらったことわざですが、この場合、縄は「縁」ということになりますよね。泥棒は自分の「因」をうらまねばならないのに「縁」をうらんでいるから、おかしいわけです。「他因自果」だと思っているのは、因と縁をごちゃにして、縁をうらんでいる姿だということが、親鸞会のお話を聞いて分かりました。

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。

私たちの運命は、すべて過去の自分の行為が生み出した「自業自得」(自分の行為=自業が自分の運命をつくる=自得)・「自因自果」であり、「他因自果」(他のまいた種の結果が自分に現れる)は絶対にない、と教えられるのが仏教の因果の道理であることを学んできました。

さらに因果の道理は正確には「因縁果の道理」。すべての結果は因と縁が結びついて生じる。因だけでも結果は生じないし、縁だけでも結果は生じない。因とは自分自身の行為(業力)であり、縁とは因が結果を生み出すのを助けるものであるということも親鸞会のお話で習いました。

「縄をうらむ泥棒」ということわざがあるそうです。泥棒が、他人のものを盗んで警察に捕まり、縄にしばられて苦しんでいる。なぜ泥棒は今そんな苦しい目に遭っているのか。それは他人のものを盗むという行為を泥棒自身がしたからにほかならない。自分の行為の結果が現れて苦しんでいるわけですね。ところが自分を苦しめているのは、この縄のせいだと、縄をうらんでいる泥棒がいたとしたら、こんな愚かな泥棒はいません。「縄をうらむ泥棒」とは、そのように自分の種まきをたなにあげて、おかどちがいのものをうらんでいる愚かさをわらったことわざですが、この場合、縄は「縁」ということになりますよね。泥棒は自分の「因」をうらまねばならないのに「縁」をうらんでいるから、おかしいわけです。「他因自果」だと思っているのは、因と縁をごちゃにして、縁をうらんでいる姿だということが、親鸞会のお話を聞いて分かりました。

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