親鸞会「因(いん)と縁(えん)その2」

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。
私たちの「運命」は、神が決めたのでもなければ先祖のたたりでもない。偶然決まるのでもなければキツネやタヌキの霊のせいでもない。自分の身に起きる一切の結果は、過去の自分の行為(種まき)が生み出したものであり、すべて「自業自得」(自分の行為=自業が自分の運命をつくる=自得)と教えるのが、仏教なんですね。
その行為と運命の仕組みを解明したのが「因縁果の道理」でした。すべての結果は因と縁が結びついて生じる。因だけでも結果は生じないし、縁だけでも結果は生じない。因とは自分自身の行為(業力)であり、縁とは因が結果を生み出すのを助けるもの。
親鸞会のお話では、米を例に教えてもらいました。米という結果の因はモミダネ。モミダネがなければ米は絶対にできない。しかし、モミダネさえあれば米ができるかといえば、机の上や南極の氷の上にモミダネをおいておいても米にはならない。水や土、日光、温度、農家の人の手間ひまなどがそろってはじめて米ができる。そのようにモミダネが米になるのを助けるものが縁であり、因縁がそろわなければ結果は生じない。もっともです。
そういえば「縄をうらむ泥棒」ということわざも、親鸞会のお話で習いました。これも、因縁果の道理を知ると、よく理解できる気がします。

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。

私たちの「運命」は、神が決めたのでもなければ先祖のたたりでもない。偶然決まるのでもなければキツネやタヌキの霊のせいでもない。自分の身に起きる一切の結果は、過去の自分の行為(種まき)が生み出したものであり、すべて「自業自得」(自分の行為=自業が自分の運命をつくる=自得)と教えるのが、仏教なんですね。

その行為と運命の仕組みを解明したのが「因縁果の道理」でした。すべての結果は因と縁が結びついて生じる。因だけでも結果は生じないし、縁だけでも結果は生じない。因とは自分自身の行為(業力)であり、縁とは因が結果を生み出すのを助けるもの。

親鸞会のお話では、米を例に教えてもらいました。米という結果の因はモミダネ。モミダネがなければ米は絶対にできない。しかし、モミダネさえあれば米ができるかといえば、机の上や南極の氷の上にモミダネをおいておいても米にはならない。水や土、日光、温度、農家の人の手間ひまなどがそろってはじめて米ができる。そのようにモミダネが米になるのを助けるものが縁であり、因縁がそろわなければ結果は生じない。もっともです。

そういえば「縄をうらむ泥棒」ということわざも、親鸞会のお話で習いました。これも、因縁果の道理を知ると、よく理解できる気がします。

Comments are closed.