親鸞会「因(いん)と縁(えん)」

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。
私たちが最も知りたいけど正体不明の「運命」というものは、じつは神が決めたのでもなければ、先祖のたたりでもない。偶然決まるのでもなければ、キツネやタヌキの霊のせいでもない。自分の身に起きる一切の結果は、善いのも悪いのも、自分の行為(種まき)が生み出したものであり、それもこれも、すべて「自業自得」(自分の行為=自業が自分の運命をつくる=自得)と教えられるのが仏教の「因果の道理」なんだと、これまで親鸞会のお話で聞いて分かりました。
そして次のステップへ。運命(結果)は神や先祖などの他者から与えられるものではなく、自分の善悪の行為が業力となって、善悪の結果を生み出すことはよく分かりましたが、さて、どんな仕組みで、因から果が生じるのでしょう。
ここで「縁」というものが登場します。縁とは、端的にいえば、因が結果を生み出すのを助けるもの。すべての結果は因と縁が結びついて生じると教えられるのが仏教の「因果の道理」だったのです。だから本当は「因縁果の道理」というのが正確だそう。「因果の道理」という言い方は、縁を因に含めた言い方だと親鸞会のお話で習いました。
因と縁の関係は、結果を生み出す直接的な原因が「因」で、その発芽を助けるのが「縁」ということでしょうか。とにかく、因だけあっても縁がなければ結果は生じないし、もちろん縁があっても因がなければ結果は生じない。因と縁がそろって、はじめて結果が生み出されるということがキモで。このお話はまだまだ続く。

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。

私たちが最も知りたいけど正体不明の「運命」というものは、じつは神が決めたのでもなければ、先祖のたたりでもない。偶然決まるのでもなければ、キツネやタヌキの霊のせいでもない。自分の身に起きる一切の結果は、善いのも悪いのも、自分の行為(種まき)が生み出したものであり、それもこれも、すべて「自業自得」(自分の行為=自業が自分の運命をつくる=自得)と教えられるのが仏教の「因果の道理」なんだと、これまで親鸞会のお話で聞いて分かりました。

そして次のステップへ。運命(結果)は神や先祖などの他者から与えられるものではなく、自分の善悪の行為が業力となって、善悪の結果を生み出すことはよく分かりましたが、さて、どんな仕組みで、因から果が生じるのでしょう。

ここで「縁」というものが登場します。縁とは、端的にいえば、因が結果を生み出すのを助けるもの。すべての結果は因と縁が結びついて生じると教えられるのが仏教の「因果の道理」だったのです。だから本当は「因縁果の道理」というのが正確だそう。「因果の道理」という言い方は、縁を因に含めた言い方だと親鸞会のお話で習いました。

因と縁の関係は、結果を生み出す直接的な原因が「因」で、その発芽を助けるのが「縁」ということでしょうか。とにかく、因だけあっても縁がなければ結果は生じないし、もちろん縁があっても因がなければ結果は生じない。因と縁がそろって、はじめて結果が生み出されるということがキモで。このお話はまだまだ続く。

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