親鸞会「仏教を仏法ともいう理由」

親鸞会で聞いたお話の感想をつづっています。

最近「仏法の本から末まで」をテーマに、聞かせてもらっています。ボクにとっては願ったりかなったりの内容です。まず仏法の本(もと)とは何か、というところからなんだけど、その前に!仏法とは何か、というお話から聞かせてもらいました。

仏法とは仏教のことですが、この仏とは約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまのことで、釈迦一代の教えが仏教です。では、それを仏法ともいわれるのはなぜか。それを理解するには法とは何かを知る必要がありますよね。

仏教で法とは三世十方を貫くことをいう、そうです。三世とは過去現在未来、いつでもということ。何千年前も今も何千年後も、いつでも変わらないことだけを法といわれるのですね。昔は正しかったけど今は間違いとされることや、今は正しいけど何千年後にはどうなるか分からないというようなものは法とはいえません。十方とは東西南北上下とその間の四方で、どこでもということ。日本でもアメリカでも中国でもインドでもブラジルでもヨーロッパでも。どこでも成り立つこと、変わらないことだけを法といわれます。日本では正しいとされるが、アメリカにいったら間違いになるとか、地球以外では成り立たないというようなことは法とはいえません。いつでもどこでも変わらない、絶対に間違いないことだけを法といわれ、そんな法を説かれたのがお釈迦さまだから、仏教のことを仏法ともいわれるのだと聞かせてもらいました。合点。

また、親鸞会のお話ではこんなことも教えてもらいました。世間でも「憲法」とか「法律」「交通法規」など、あまりころころかわらないものを法といわれますが、そこで使われる「法」と、仏法の「法」はまったく違うということです。最大の違い目は、世間の憲法や法律は人間がつくったもの。だから、時代や国が変わればいくらでも変わるものです。でも仏法の「法」は、そんな人間がつくった法ではなく、三世十方を貫くものだから、どれだけ時代や国が変わっても変わらないし、変えてはならないものだと教えてもらいました。「これだけ世の中が変わったのだから仏教も変えなければ時代遅れになるのでは」という発想は、三世十方を貫く法を教えられているのが仏教ということを知らないところからでてくる発言で、そういうものが仏教ではないということなんですね。合点。合点。

ボクの中で、仏法が再定義されました。では、その三世十方を貫くこととは何か。仏法の本とは何でしょうか、ということになるのですが、しばらくこのテーマにそって親鸞会で聞いたお話の感想を綴っていこうと思います。

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