親鸞会「なぜ生きる 親鸞聖人のお答え」

親鸞会で聞いたお話の感想を綴っています。

ズバリ今回は「なぜ生きる 親鸞聖人のお答え」について聞かせていただきました。

すべての人は、生まれた時に、空と水しか見えない海に放り出されたようなもの。
どうするか。泳がなければ溺れ死ぬだけだから、泳がなければなりません。
その時に大事になるのは、どう泳ぐかの泳ぎ方と、どこへ向かって泳ぐかという方角ですね。たしかに泳ぎ方が分からなければ、たちまち沈んでしまいますから、泳ぎ方は大事です。しかし、どんな泳ぎ方をして、どれだけ泳ごうとも、島も陸地もなければ、いずれは溺れ死ぬ悲劇は免れません。その意味で、どう泳ぐかも大事ですが、より重要なのは、どこへ向かって泳ぐかという方角になります。すなわち、どう生きるも大事だが、もっとも大事なことは「なぜ生きる」ということですね。

ところが見渡す限り空と水しか見えない古今東西の人間は、その答えが見いだせず、問い続けて死んでいる。それが「なぜ生きる」という深遠な問い。夏目漱石は、「人間は生きて苦しむ為めの動物かもしれない」と妻への手紙に記し、芥川龍之介は、「人生は地獄よりも地獄的である」といって自殺を選択した問い。

この問いに答えるのは大変なことですが、親鸞聖人は、主著である『教行信証』の冒頭も冒頭、いちばんはじめに、この問いの答えを明示されているというのですから、驚くべきことではないでしょうか。

そのお言葉が
「難思の弘誓は難度の海を度する大船、
 無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」
です。

親鸞会のお話では、この意味について詳しく聞かせていただいたのですが、ボクの器量では、これ以上はあえなくダウンというわけで・・・。続けて親鸞会のお話を聞いていきます。

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