親鸞会「生死の苦海ほとりなし」

親鸞会でお聞きしたお話の感想を綴っています。今回心に残ったのは「生死の苦海ほとりなし」という言葉です。親鸞聖人の書かれた「和讃」といわれる詩にあります。

「生死の苦海ほとりなし ひさしく沈めるわれらをば
 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける」

「生死」とは「苦しみ」。すぐあとにまた「苦海」とあります。「苦しみの海」とは、私たちの人生のこと、と聞きました。人生を海に例えて「生死の苦海」といわれているのですね。「ほとりなし」とは「果てしがない」。だから、この一行の意味は「果てしない苦しみの海のような私たちの人生」ということになるでしょうか。
 科学の進歩はめざましく、ケータイは小学生でも持っています。いつでもどこでも好きな人と連絡がとれ、確かに世の中便利になりましたが「幸せ感」としてはどうなんでしょう。いろいろなものが高度に発達したおかげで、社会システムに「あそび」の部分がなくなって窮屈な世の中になった気がする今日このごろです。自分自身も、困っている人を助けてあげるような心のゆとり、時間のゆとりがない気がします。
親鸞会でのお話にも出てきましたが、自殺者は12年連続3万人以上。親鸞聖人は700年以上前の方ですが、700年前に言われたことが、今日もまったくあてはまることに驚きます。「ひさしく沈めるわれら」ですから、ずっと生死の苦海に沈んでいるということですね。そういえば政権交代の熱い夏も、今は昔、半年でこんなに冷めてしまうものなのか……とため息がでます。「何か変わるのでは」と期待しては裏切られ、いまだかつて幸せになったためしはないのかも。

そんな苦しみの海にひさしく沈んでいる私たちを「弥陀弘誓の船のみぞ、乗せて必ず渡しける」。本当の幸せに助けることができるのは、弥陀の救いだけなのだと、聞かせてもらいました。「のみ」というところが、キモです。「オンリーワン」ということですね。「ゼロ」じゃないということは、すごいことだと思います。親鸞聖人の教えられたことは、弥陀の本願一つともお聞きしました。親鸞会で続けて学んでいきたいと思います。

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