親鸞会『白骨の章』

前回は、親鸞会とは何か?親鸞会とはどのような集まりのことを言うのかをお話しました。

今回も親鸞会で聞いた仏教のお話をご紹介したいと思います。
親鸞会の人が言うには今回のお話はとても有名なお話だと聞いたのですが、正直初耳だった私。
少し恥ずかしい気持になってしまいました。

親鸞会で聞いたお話は「白骨の章」というものでした。
お話の冒頭によく葬式のときに読まれるものです。」といわれ、特に心に残ったのが「朝に紅顔ありて夕に白骨となれる身なり」というお言葉。

朝、元気に「行ってきま~す」と血色のよい顔(紅顔)で出かけるというのは、どこにでもある風景ですよね。
実際、私も今朝はそうでした。

「行ってきます」

というのは

「行って、帰ってきます」

という意味なんだそうです。

ところが、夕方に帰ってこないことがあります。
突然の交通事故や、通り魔、天災などなど、人生なにがおきるか分かりません。

「ただいま」

と帰ってこれるのは当たり前ではないのですね。

親鸞聖人は出家されるときに「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」とと詠んだそうです。
その時の年齢はわずか9歳の時の出来事なんだそうです。

「今日をさかりと咲く花もいちじんの嵐ですべて散ってしまいます。 明日といわず。今日得度していただけないでしょうか」

明日、得度をという僧侶に対して「明日の命、だれが保障してくれましょう」というわけです。
親鸞会でこの話を聞いた時、私は「ああ、自分は一日をおろそかにしているな」と反省したのを覚えています。

最後に親鸞会の一日一訓カレンダーの言葉を紹介しましょう。

「今晩死ぬ覚悟で何事も行うようにしよう」

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