12月 25

親鸞会でお聞きしたお話の感想を綴っています。

テレビ座談会って個人的にすごくいい、です。初心者も分かりやすくて。ただ、聞いた内容をちゃんと再現できるか、どうかは別なんですけど。先日は仏教学ということで「断見」「常見」という言葉を習いました。
 断見とは「死後はない」という考え方。「無の見」ともいわれます。常見とは「死後、固定不変の霊魂が存続する」という考え方。「有の見」ともいうそうです。そしてなんと、いずれも仏教では間違いとされるそうです。(真理に外れた教えということで「外道」といわれる)

 死んだらどうなるのか。だれしも一度は考えますよね。「大霊界」とか「死後世界地図」とか「生まれ変わり」といってイメージしているのは、おそらく「有の見」でしょう。神社に死んだ人を祭っているのもそう。「死後は無い」という「無の見」は分かりやすいですね。皆さんはどっちだと思っていました(思っています)か。「わからない」という立ち位置もありますよね。それが謙虚というか。しかし考えてみれば必ずぶち当たる死。人間って確実な未来が分からない中で生きてるんですね。別の時の親鸞会のお話で、死んだらどうなるか分からない心を「無明の闇」と言われ、それが苦しみの根元だと聞いた覚えがあります。ちょっと脱線しましたが、そんなことも考えました。

 それにしても、死後、固定不変の魂が続くというのも間違い、死後は無いというのも間違いなら、本当のところは何だろうか、という疑問が当然わきますよね。この二つ以外、普通考えつかないでしょ?常見、断見、どちらも間違い、と教えていると知って、仏教ってなんかスゴイ……と感じました。
 で、本当のところはどうなのかって?はい、まだ勉強不足で、そこまで説明できません(汗)。親鸞会でひきつづき、学んでいきたいと思います。